わたしたちは地球上でかなり地震の多い地域に暮らしているので、大抵の人には、日常生活の中で僅かな揺れを感じて「地震!?」と身を凍らせた経験があると思う。その数瞬後、激しい縦揺れに襲われることもあるが、何も起こらないことの方がずっと多い。
実際に地震が起これば、最初に感じた揺れは「初期微動だった」ということになるが、そうでなかったら、気のせいということで忘れ去られる。そこで忘れられる、起こらなかった地震の前触れのような感覚が、気になっている。
それで、このシリーズのアーキタイプとなった作品を「初期微動」と名付けて展示したのだが、朽ちた建物の写真が多かった上に、偶然にも展示期間が3月11日からだったため、「震災の写真ですか?」とたびたび尋ねられた。その度に「いや、そうではないんですけれど」と曖昧な笑みを浮かべつつ、なんとも座りの悪い気持ちになった。今振り返ってその気分を言葉にするなら「すいません、この地震は起こらなかったんです」となるだろうか。
起こってしまった災厄は歴史に刻まれ次第に過去へと遠ざかっていくが、起こらなかった災厄は、今この瞬間にも起こりうるものとして、伏流水のように世界に潜伏する。
分裂病初期に表れる極度の不安を示す精神医学の用語に「トレマ」という語があるが、英語のtremorと同語源で「震え」を原義とする。tremorは「震え」と共に、揺れや小さな地震を指す言葉である。「トレマ」は不安であるが、ぞくぞくする感じでもあり、未だ明らかではない何かがこれから巻き起こる予感、アンテ・フェストゥム(祭りの前)的な感覚だ。
この世界に既に織り込まれている終わりのない淡い不安、予兆の震えを、探し求めている。