Chronotopographics あのドローンはわたしでした

以下の文章は2025年5月のニコンサロンでの展示に合わせて刊行した写真集『Chronotopographics』に収録しているものです。

なお、写真集『Chronotopographics』はこちらのショップでお買い求め頂けます。

 ある島に残る巨大廃ホテルを訪れた時のことだ。

 不法投棄物と藪を乗り越えてエントランスにたどり着くと、季節を通じて強い潮風の吹き付ける気候のせいか、窓という窓がなくなり、四五階建てほどの建物はほとんど遺跡と化していた。足元には剥がれ落ちたボード材が白く降り積もっていて、いかにもアスベストを含んでいそうだが、風通しが良すぎて大して心配にもならない。湿り気を含んだ絨毯には一面の苔、ところにより羊歯が生い茂っていた。

 朽ち果てて植物に侵されていく建物は見慣れてはいるが、南国の空気も相まってやはり血が沸き立つ。夢中になってフロント付近でシャッターを切っていると、突然に声をかけられた。

 三十代から四十代くらいの大柄な男性で、肩からバッグをかけ、もう片側に脚立を担いでいる。不意をつかれてかなり驚いたが、向こうは至ってフランクな調子で「上、もう行きました? 踏み抜くので気を付けて下さい」と言われた。思わず「ありがとうございます!」と明るく返事をしてしまった。

 廃物件を撮影する時は、藪、虫、蛇、猪、熊、ガラス片や突き出た釘、滑落など様々な危険が立ちふさがるが、一番気をつけなければならないのは人間だと思う。この男性は少なくともこちらに敵意はない様子だったが、同業者にしてはカメラも持っていない。注意をすることも、こちらが何をしているのか尋ねることもない。地元の人なのかよそ者なのかもよくわらかない。一体何をしている人だろうと不思議に思った。

 男性は脚立を担いだまますぐに建物の奥へと姿を消し、そのまま出会うことがなかった。くまなく建物内を探索していると、上ではなく別棟に向かう渡り廊下が崩落していたので、もしかするとこれを乗り越えるために脚立を使っているのだろうか、と想像した。

 正体がわかったのは翌日にドローンを飛ばした時だった。

 話がそれるが、島でドローンを飛ばすのには苦労が多かった。まず、真ん中に空港があるのでその近辺では飛行が許可されず、ルートが限定される。飛行が可能でも、離陸ポイントが問題なことがある。

 わたしは建造物などを撮影しているため、なるべく光を背にして南方向から離陸するようにしている。建物の背後に機体が入ってしまうと電波が途絶するので、なるべく順光で飛べる範囲を広くしたいのだ。

 しかし常に都合よく南側に離陸ポイントがあるわけではない。島にある一つの物件は南岸に位置していて、南は海で入ることができず、道は北側にしかない。しかも建物は斜面に沿って下りながら建っているので、降下して迫力ある映像にしようとすると見通し線より下に入ってどうしても電波が切れてしまう。

 では上空から撮れば良いかというと、前述の通り島は大変に風が強い。ちょっと高度を上げると強風警報が出て制御が困難になり、最悪の場合、帰ってくることができなくなってしまう。そのため、高くもなく低くもない微妙なラインを探りながら工夫して撮影した。

 話を戻すと、脚立の男性がいた物件は、天候や時間帯の関係で翌日にドローンを飛ばすことになった。

 外から撮っていると、巨大な塀のようにそそり立った建物の壁面、その一番下のところに大きなグラフィティがあり、そばに豆粒のように小さく人影が見えた。あの男性は、廃ホテルの壁面にグラフィティアートを描いている人だったのだ。

 グラフィティを描いている人には、このお兄さんを含めて今まで三人に遭遇している。前の二人は描いている現場だったので何をしているか一目瞭然だったが、脚立の人はただ脚立を持っているだけだったので正体がわからなかった。

 グラフィティがかなり巨大なこと、二日続けて来ていることから、おそらく地元の人が長年かけてコツコツやっているのだろう。そういえば車も最適の場所に停めてあったし、慣れている感じがした。

 落書き類については廃墟ファン勢から批判されることが多いが、やっていることはどっちもどっちなので文句を言うつもりもない。

 画面に映る脚立の人は、まぶしげに手を額の前にかざしながら、こちらを窺っている。一体何のドローンかと訝っているのだろう。

 飛びながら「昨日のわたしですよ、お世話になりました」と伝えたかったが、ドローンから意志を伝える手段がない。意味ありげに上下に飛んだりライトを明滅させることはできるが、向こうからしたら敵意なのか好意なのか判別できないだろう。

 これは少し不思議な感覚で、こちらからは見えているのに向こうからはこちらが見えない、正確にはドローンは見えていて、そのドローンを自由に操ることはできるけれど、ドローンのこちらにいるわたしは見えず、何を考えているのかも伝達できない。テレビの中の人に話しかけるのには、少し似ているがやはり違う。細い穴の底に落ちて空を見上げている感じか。いや、空にいるのはこちらで、ずっと自由なのだ。幽霊がこの世を見ているのが、一番似ているだろうか。

 ウクライナのドローンパイロットが民間人や捕虜を誘導する映像を見たことがあるが、あれも意志の伝達に苦労していそうだ。誘導される側からしたら、なにせ命がかかっているのだから、敵か味方かわからないものに付いていくのは不安だろう。「大丈夫ですよ」と言いたいけど言えない。

 結局こちらの正体を伝えることもできないまま、普通に撮影を終えて帰還したが、この経験が妙に心に引っかかっている。

 あの男性にはどこかでまた会ってちゃんと話をしたい。

 「あのドローンはわたしでした」というのは、「あの時助けてもらった鶴です」というのに少し似ている。